楡家の人びと (上巻) (新潮文庫) |
この小説は最初は新潮社の純文学書き下ろしで出たものだが、そのときについていた三島由紀夫の推薦の言葉がこれ、「これこそ小説なのだ」である。
これは、ヨーロッパで生まれた「小説」というものがようやく日本でも書かれた、という最高の賛辞であるとともに、古典的な「小説」にすぎない、という皮肉でもあったが、いずれにせよ日本の文学の一つの到達点を示している。 内容ははっきり言って地味。ゆっくりとした時代の流れと、個々の些末なディテールの折り込み、小説を楽しめる人には最高に楽しめる一冊。 |
楡家の人びと (下巻) (新潮文庫) |
明治・大正・昭和という激動の時代を生きた三代に渡るある医家の物語ですが、登場人物たちがこの大部の小説の中で何かを成し遂げることはありません。滑稽さをまじえながら、そして物語の途上でその何人かを実にあっけないほどに殺してしまいながら、市井の人々の姿をじっくりと著者・北杜夫氏は描き続けています。幕切れもまたありふれたある日の茶の間風景の中にまぎれて訪れるほどです。 しかしこの長編小説は全く飽きさせることなく読者をぐいぐいと引っ張り続けます。それは登場人物が魅力的だから?いえいえ、登場人物たちはあきれるほど身勝手だったり、さかしかったりして、他者の範となるような者はひとりとして現れません。それにもかかわらずこの小説が魅力的なのは、その登場人物ひとりひとりの人間くささに読者である私自身の様々な側面を重ねて読むことができるからです。 それはウッディ・アレンの映画の魅力にも似ているような気がします。彼は自身の作品の中で、どうしようもなくだらしなく、だからこそ人間的な人々を執拗なまでに繰り返し描いてきました。決して観客の多くが共感できるわけではないのに、なぜかやるせないほど人間的な人々の姿を倦むことなく綴り続ける。 この「楡家の人びと」の尽きせぬ魅力とはまさにそういうところにあるのだと思います。 終章を読み終えてページを閉じるにあたって、この物語にはもう本当に続きがないのかと実に惜しい気持ちにとらわれたのは私だけではなかったようです。巻末に作家・辻邦夫が綴っている解説にも同様の記述を見つけ、わが意を得たりという思いをしました。 |
どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫) |
若者必読ですね。現在の若者は不幸であると感じることができる書です。それはあなた達が悪いのでは決してありません。社会を含めてこの時代と現代はまったく違うからです。でもその違いを確認しつつ、精神的に豊かな青春時代を知ることができるのです。
本書の冒頭に「もうじき四十になる」作者の珍しく沈んだ書き出しがありますが、私もほぼ同じ年齢になります。そんな時の作者が書いた旧制高校〜医学部での生活。そこには破天荒な学友と先生。熱き思いがあふれています。そんな熱い青春時代に触れてみることは、きっとあなたの人生を豊かにすること間違いありません。 |